Goodbye My Wings-epilogue-







最先端の医療器具とベットが置かれただけの無機質な部屋。
規則的に聞こえる機械音だけがこの部屋に許された音のように耳に張り付いて離れない。
アルトは胸をすく思いにぎゅっと唇を噛み締める。
もう何度もここを訪れているというのにやはり慣れない。
いや慣れたくもないのだが、この部屋に入る度に不安と恐怖に怯える自分が臆病でいい加減嫌になる。
真ん中にぽつんと置かれたベットにはもうずっとアルトが思いを寄せている人がいる。
動くことも、話すことも、笑うこともない、ただ息をしているだけの彼。
バジュラとの長い旅路から帰ってきて震える唇でやっと尋ねたその人、シエルの居場所がここだった。
想像し得る範囲の最悪の事態になっていなかったことに対する安堵とそれでもいつそうなるかわからない恐怖。
初めてこの部屋に通されたときから、アルトは変らず怯えている。
今は彼の状態も安定していると医者達は言うが、この一定のリズムを刻む機械音が途切れれば終りなのだ。
彼がこの世の人ではなくなってしまう、そんな恐怖がいつもアルトを苛(さいな)む。
ベットの脇に置かれたパイプ椅子に腰掛けシエルの顔を覗き込む。
ピンクブロンドの髪も長い睫毛も白い肌も、最後に触れたときと変らない。
そっと頬に触れると微かに温かい。
確かに彼は生きている、そうして確認することで今日も漸く安堵の吐息を零すことができるのだ。
指一本動かさず、ただ眠り続けるシエルに会うため、アルトは毎日ほぼ欠かさずこうしてここに来ていた。
もちろん旅から戻ってきたアルトが決して暇なわけではない。
むしろSMSに復帰して、以前より多忙な日々を送っていた。
フロンティア市民が新たな土地に暮らすこととなって日は浅くないのだが、それでもそこで暮らしていくにはまだまだ課題は山済みでアルトたちSMSや軍の力は大いに必要とされている。
だから毎日色々な所にアルトも引っ張りだこなのだが、それでも仕事の後やその合間にシエルに会いに来る。
こうして会いに来ていればいつか目が覚めるのではないかと思って。
「・・・シエル」
彼の名前を呼んでみる。
応えが返ってくるなんて万が一にもないと思いながら、それでもその一に賭けてみたくなる衝動を抑えられずもう一度その名を口ずさむ。
「シエル」
目を開けて欲しい。
また以前のようにステージで歌って、他愛ないことで笑って、たまに喧嘩もして、泣いたり、怒ったり、どんなことも共有したい。
あの日、アルカトラズで必死に伸ばされた手を今度こそ真正面から受け止めてやりたい。
そう思うのに。
「なあ、シエル・・・」
額にかかるピンクブロンドの髪を掻き分け、その手でもう一度頬に触れる。
やはり温かい。
生きているのだ。
だのにもうずっとぴくりとも動かない彼。
細く長いシエルの左手を両手で包み込むように掬い上げるとアルトはそれに祈るように額を押し付ける。
「お願いだからっ・・・もう、目を覚ましてくれ・・・っ」
誰に祈るかなんてわからない。
だが祈らずにはいれなかった。
あとどれだけ待てばいい?
こうして眠り続ける彼をあとどれだけ見守ればいい?
ただ見ているだけ。
指を絡めても握り返されることのない手、話しかけても動くことのない唇、触れても開くことのない目蓋。
そうじゃない。
本当はもっと、彼の我侭に振り回されて、喧嘩しても離れられなくて、触れ合って、キスして、一緒に生きたい!
気づけばシエルを呼ぶ声が震えていた。
嗚咽交じりに、それでもアルトは懇願する。
「・・・シエルッ・・・!」


もう、限界だ。
そう頭の隅で思ったとき、ふとシエルの手を包み込むアルトの手が握り返されたような気がした。
まさか、と疑う気持ちとそうであって欲しいという思いで恐る恐るもうもう一度その名を呼ぶ。
すると今度は先ほどよりも明確に自分の手に力が加えられた。
「シエルッ!」
勢いよく立ち上げると盛大な音を立ててパイプ椅子が倒れたがそんなことに構っていられなかった。
アルトは食い入るようにシエルの顔を覗き込む。
ピクリ、と長い睫毛が揺れた。
そしてゆっくりと重い目蓋が持ち上がる。
中から覗くネイビーブルーの瞳。
ずっと待っていた。
その瞬間。
シエルは少し視線を彷徨わせて、それからじっとアルトを見つめる。
唇を震わせて、ひゅっと喉を鳴らす。
久し振りのことになかなか上手くいかないのか何度か空気の通る音がして、それからやっとそれが振動に変わった。
その音は優しく甘いアルトのよく知るシエルの声。
「おかえり、アルト」
目の前で口元を緩めて微笑んでいるのは紛れもないシエルだ。
おかえりだなんて待っていたのは俺だとか、起きるのが遅すぎるとか、言ってやりたいことが色々浮かんだがそれを総て飲み込む。
そんなことよりも今は彼を腕に閉じ込め、その唇に深くキスしたい。
アルトは目頭が再び熱を持ち始めたのも構わず、横たわるシエルを抱きしめ、耳元で熱い吐息を零した。


「ああ、ただいま、シエル」




Fin




あとがき

アルトはシエルとランカを散々振り回したのでヴァジュラとのランデブーから帰ってきてとんとん拍子にくっつくのは納得いかないと感じた私の悪意の表れです。
アルトも少しくらい苦労すればいい。
だからシエルさんには少し長めに眠ってもらいました。
[06.007.2011]