心地よい風が頬を撫でる。
色づいた桜の花びらが宙を舞う。
静かで、穏やかな午後。
ここだけは時の流れも世の乱れも知らぬげに存在するのだな、と思う。
だからこそここが夢であれ、うつつであれ、振り返ればあの頃のように心から友と呼んでいた彼らや、愛おしいあの人がいるのではないか、とさえ感じられてくる。
「兼続さんは真田丸にいるって。」
しかし実際掛けられた声に振り返っていたのはその役柄からは珍しい桜色の装束をまとった自分の従臣、くのいちであり、幸村は自分の淡い幻想に自嘲せざるおえなくなる。
そうだ、ここはもうあの頃ではないのだ。
関ヶ原の戦から15年。
自分はひどく遠くへ来てしまったものだ、と思う。
「そうか。やはり兼続殿もきておられるか。」
旧友のその名を口にするのはいつ振りだろう。
それ以上何も言わぬ主君の気持ちを察してかくのいちにしては珍しくその表情を曇らせる。
「何さあの義男っ、顔だけ男が死んじゃったらコロっと狸についちゃってさァ。」
不満そうに小石を蹴るくのいちの姿はやはり自分を気遣ってくれているのだろう、そう思うと自分の旧友たちを邪険にされても苦笑する他ない。
「兼続殿と私とでは背負っているものが違う。兼続殿には上杉があるのだ、家康の天下でその存続を図るのならば当然のことだろう。」
今更兼続を責める気はなかった。
自分が今口にしたことに偽りはなかった。
関ヶ原で西軍が大敗を記した後、家康に傾いた天下で家名を残そうと思うのならば仕方のない選択だろう。
ましてや兼続は石田三成率いる西軍についていたのだこの豊臣を打つ戦で戦功をたてる他、家康の信頼を回復する方法はない。
「だけど義、義って・・・結局幸村様だけが・・・!!」
「よいのだ、くのいち。」
くのいちが全てを言い終えるまでに幸村はそれを静止する。
何がいいのだ?そうくのいちの表情は尚も言葉を紡ごうとしていたが幸村は静かに首を横に振る。
もういいのだ。
すべてはもうすぐ終わる。
長かったのか、短かったのか九度山で過ごした日々は自分にとって何だったのだろう?
その再起を狙っていた父・昌幸も死に終には自分だけとなってしまった。
もはや豊臣に戦意などないに等しい。
少なくともあの母子が動かないのだ。
「くのいち、お前は・・・」
「私は最後まで戦うよ。」
今度は幸村の言葉をくのいちが妨げた。
先ほどとはうって変って真摯な目が幸村を捕らえる。
忍びは真田家に雇われているだけにすぎない。
だから自分と命運をともにする必要はないと考える幸村は先の大阪の陣が終わった際に猿飛佐助など真田十勇士と呼ばれる忍び以外を解雇している。
実際、十勇士でもないのに幸村の許に残った忍びは僅かこのくのいちだけだった。
くのいちとは佐助や一部の十勇士ほどではないにしても付き合いは長い、自分が旧知と呼ぶ彼らよりも明らかに長い時を共にしている。
だからこそ今の今まで自分に付き従ってくれただけでも有難い、もはやそれ以上は望まない、そう思ってくのいちに告げようとした言葉だったが、くのいちはそれを最後まで聞くことなく静止した。
そしていつも幸村に見せるような悪戯っ子のような笑みをして「おっとォ、佐助の兄貴に用事頼まれてたんだっ。」と云って去ってしまった。
残された幸村はもう一度はらはらと花弁を散らす桜に向き直る。
私はまだ一人ではない。
このように付き従ってくれる忍びたちがいる。
ならばあともう少し。
あともう少しこの天下に抗ってみよう、と思う。
もっとも、もはやそれは太閤殿下から受け賜った恩恵や豊臣についた父・昌幸の信念を貫くといった思いよりももっと個人的な感情からきているかもしれない。
くのいちや十勇士たちよりは遥かに短い時しか共に過ごしてはいないが、それでも自分をあの春のまどろみのような時間から放さないたった一人の存在のためだけに自分はここまできたのかもしれない。
(貴方は女々しいと笑われるだろうか?)


「ばっ、ばか者っ!!突然何をするっ!?」
あの日もむせかえるような花の匂いがあたり一面を覆っていた。
ただその花弁を惜しむことなく散らす桜の前に佇む彼の姿がやけに寂しげに感じられて、気づいたときには幸村はその唇に己のものを重ねていた。
突然の予期せぬ出来事に彼―三成は頬を朱に染めながら目の前の人物を押しのけ叱咤する。
「申し訳ありません。しかし、三成殿があまりに寂しそうでしたので・・・。」
「お、お前は寂しそうな人間がいたら誰これ構わずそんなことをするのかっ!?」
尚も動揺を隠せぬ様子で三成が幸村を責めたてる。
ただ責められる幸村本人は頬を朱に染めて叱咤する三成の様子から本気で怒っているようには感じられず、やけに安穏としている。
「いえ、そんなことは。」
「では何だと云うのだっ!?だいたいく、口付けなどは好いた女子にするものであって・・・!!」
「だからですよ。」
三成の言葉を途中で遮りつんと言い張る。
花びらが風と共にさーっと舞い上がり、二人の間に僅かな沈黙ができる。
「お慕いしております、三成殿。」
自分でも驚くほどあっさりとその言葉がでてきた。
今まで隠しに隠してきたこの感情を悠然と打ち明けてしまったことに幸村はうっすらと自嘲の笑みを浮かべる。
私は何故、今このようなことを云ったのだろう?
「なっ・・・!!」
幸村の言葉にいちいちうろたえる三成が可愛くて仕方ないと思いながらも、幸村は言葉を失して終にはその視線だけで何か訴えようとしている三成に微笑み返す。
「三成殿の寂しそうな顔を見ていると桜の下には人の骸があるという話を思い出しました。私もいつ戦場の骸となる身が知れません。だからそう思うと伝えずにはおれませんでした。ただ、だからといって三成殿にどうかして欲しいわけではありません。どうぞ春のまどろみの血迷い事と思ってお忘れください。」
自分はこの桜の香りに酔ったのかもしれない。
儚い春の夢と思ってしでかしてしまったことだ。
この気持ちに偽りがないにしても、その先を求めていないのも事実だった。
いや、求めていないと言うよりも予想していないと言ったほうが正しいのかもしれない。
だから幸村は目の前で不満げに眉根を寄せる三成に一礼して去ろうとする。
だが、幸村が数歩踏み出したところでそれを呼び止める声がする。
「幸村っ!!」
呼び止められたことに半ば驚きの表情で幸村は振り返る。
「お前はお前の云いたいことだけ云って終りか?俺のことなど無視か?フン、大した自分勝手な奴だ。」
先ほどとは変って三成の口調はいつも通りの自信を取り戻している。
ただ僅かにその口調からは怒気も感じられ、幸村は戸惑う。
三成の意図していることがわからない。
「いいえ、決してそのようなつもりで云ったのではありませぬっ!」
「では俺の話も聞けっ!」
「三成殿の話・・・とは?」
そう尋ねた幸村に満足したのか三成は得意げな表情でフンと鼻をならす。
「云わぬ。」
「は?」
「云わぬと言っている。何だその不満そうな顔は?」
自分から聞けと言っておいて云わぬと答えられて平生としていろと云う方が無茶な話だろう、と幸村は内心三成を非難する。
この目の前の人物の考えていることがたまにわからなくなる。
(それもこの人の魅力だと思うが。)
そんなことを悶々と考えていると、この春のまどろみの酔いを醒ますようなすっきりとした声が幸村の耳で響いた。

「俺はまだ何も云わぬ。だから生きろ、幸村。次の戦も、その次の戦も生き残れ。そうすればそのときお前の言葉に答えてやる。」


それはきっと幸村を死なすまいと思って三成が考えたことだったのだろう。
そして今、自分だけが生き残っている。
もうすぐ戦場の花と散ろうとしている命だけれども。
(私はどれほど貴方の言葉に生かされてきたのでしょう?)
あの春の日と同じように無数に散りゆく花弁とむせ返るような香りの中で幸村は思う。
(あと少しで貴方の許に行く私を許して下さい。)
もう全てを終わらせよう。
悲しみも憎しみも、今ではひどく曖昧なものとなってしまって、ただ穏やかな自分だけがここにいるのだが。
それでもあの春の日を懐古してやまない己の思いはこの身が滅びても天に昇って行くことだろう。
愛しい貴方の許に。
「三成殿、聞こえていますか?」







	


初の幸三がコレという残念さです。
元ちとせの『春のかたみ』を聴いていたらふと思い浮かんだので。

[2009年 11月 15日]