紅揃えの武具に白い鉢巻をなびかせて悠然と佇むその姿を三成はそこより僅かに後方から眺めていた。
いや実際は、眺めていた、というより声を掛けようかどうか悶々と葛藤していたというほうが正しい。
もっと言えばどう声を掛けるべきか悩んでいた。
そうして悩みだして随分時間は経っているのだが、悩みの種である当の本人は己の後方に陣取る三成の存在に全く気づいていない。
「幸村、元気にしていたか?」
ふと、自分が声を掛けるよりも先に幸村の名を呼んだ者がいた。
「兼続殿、お久し振りです。」
三成よりも兼続の存在に先に気づいた幸村はぱっと明るい笑みを浮かべ其方に近づいて行く。
兼続は幸村の後方から物凄い形相で此方を睨みつけている三成に気づき、片手を上げて三成にも挨拶しようと声を出しかけたところで、さらにその声を遮る声がした。
「幸村ー!ちょっとこっちを手伝ってくんねぇかぁー?」
兼続の声量に負けないくらいの大声。
三成は眉を顰めて其方に目を向ける。
前田慶次だった。
「あっ、慶次殿、わかりました。すぐ其方に向かいます。」
慶次に呼ばれた幸村は「失礼します。」と兼続に頭を下げ、去って行く。
幸村の後ろ姿が見えなくなってから兼続は先ほど己を睨み付けていたもう一人の友・三成の方を振り返る。
「三成、なんだその面は?久し振りに会ったというのに不義であるぞ。」
相変わらずこの友人は物事を義、不義でしか分けられないらしく、そんな単純思考のお前に俺の悩みがわかるかっ、と内心悪態をつく。
「幸村ぁー?あれ、いないのか?」
するとまたもう一人、三成が兼続に不平不満をぶちまける前にさらに幸村目当ての人物が現れた。
己の重臣・島左近だ。
「殿、幸村を見てないですか?」
三成の不満がそこにあることも知らず、左近はのうのうとその名前を口にする。
口にしてから己の主の至極機嫌の悪い様子に気づいて、ひっと押し黙る。
「知らんっ!用があるのならこの兼続でも使えっ!!」
「・・・いえ、いないんならいいんですよ。いないんなら。」
三成にとっては幸村も兼続も同じように義の世を誓いあった友であろうが、左近にとっては兼続と幸村では違いすぎる。
兼続は大国の大名・上杉景勝の家臣。
気軽に左近ほどの身分のものが気軽に用を頼める相手ではないのだ。
ただ、今の三成に何を言って反論しても己に浴びせられる罵声が増えるだけだということを左近は重々承知している。
まさに触らぬ神に祟りなし。
左近は気の毒そうに己を見る兼続に一礼して、肩を竦めその場をすごすごと去っていった。
「三成、さっきから何だその態度は?あれでは左近殿が不憫ではないか。」
兼続からため息が漏れた。
「かまわん。」
だが、三成は依然不機嫌そうに兼続から目線を逸らすだけだ。
「で、何をそんなに怒っておるのだ?」
「なっ!怒ってなどいない!」
怒っておるではないか、と言い掛けてぐっと押し黙る。
自分の友の性格をよく知っているため、ここで反論しても相手がよけい意固地になるだけだということを兼続はよく弁えている。
「では、何のことを考えておったのだ?」
だからこういう聞き方をすれば必ず三成が口を開くことも知っている。
本当は誰かに聞いて欲しいに違いないのだ。
「・・・”幸村”、と。」
ポツリ、とその名前が零れた。
「は?幸村がどうかしたのか?」
「皆、”幸村”と。」
2度もその名前を呼んでしまった。
今、ここに本人はいないのだが、己の口から初めて発音するその響きに三成の脈は心なしか速くなる。
「幸村、と?」
「お前も、前田慶次も、左近も、皆”幸村”と呼んでおるではないか!俺もそう呼びたいのだよ!!」
そうなのだ。
先ほどから己の頭を悩ませていたのはそのことだったのだ。
自分の周りの者は皆”幸村”と彼のことを名前で呼んでいるのに、自分だけが”真田”と呼び捨てにしていた。
己とて”幸村”、と彼のことを親しみを込めて呼びたい。
「呼べばいいではないか?」
「そんな容易なことではないのだよ!」
呼びたいが、一度”真田”と呼んでしまったからにはどうしてもその切り替えができない。
性格上、初対面の相手には一層も二層も壁を作ってしまう。
幸村もその対象の例外ではなく、人質にきただけのものに馴れ合ってやるつもりなど毛頭なかったのだ。
しかし度々顔を合わせ、幸村と接するうちに三成のうちに一つの感情が芽生えた。
最初はその感情がわからず三成は冷たい態度ばかり幸村にとってしまったのだが、兼続の指摘や、以前の城攻めを経験するうちに三成はそれが何であるのかに気づいた。
気づいた後は今までの所業を激しく後悔し、せめて友人らしくまともな付き合いができるよう心がけるようにしていた。
そしてその第一歩として幸村の名前問題が浮上してきた。
少しでも幸村との親交を深めたいと三成は思うに至り、先ずは己もその名前を呼びたかった。
小田原での邂逅で兼続と共に友の誓いをしたにも関わらず、お互いの呼称が”真田”と”石田殿”ではあまりに素っ気無いではないか。
だからこそ呼称を改めようと、本人を目の前にして悩んでいたのは先ほどのこと。
だが、不幸にも三成がその名前を呼ぶよりも先に後から現れた者たちが皆口を揃えて”幸村”を連呼する。
そのことが三成の勘に障り、左近を素気無く追い返すまでに至ったのだ。
「ふむ、三成よ。そんなに悩まずとも呼びたいのならそう呼べばいいとやはり私は思うが。」
とりあえず一通り三成の話を聞いてから兼続は大きく頷いて見せた。
「だからそれが容易ではない、と。」
「何が容易ではないのだ。お前は既に3度以上その名を口にしているではないか?」
「違う、そういう意味ではないことぐらいわかっているだろうが!もし俺が急に”幸村”と呼んで、奴が気を悪くしたり、困った顔をしたりしたらどうする!?居た堪れないではないか!?」
その居た堪れないのはどちらのことだ?と尋ね掛けて、兼続はその言葉を飲み込む。
こうして計算ばかりが先に進んでなかなか物事の決断に踏み切れない性質が三成にはあった。
確かに国の政治に関しては三成のこのような性格が役立つだろう。
だが人と人との関わりにおいてそうした理屈は無用なのだ。
そのことに三成はそろそろ気づくべきではないだろうか、と兼続は未だ己に向けて何やらぶつぶつ言っている三成に相槌をうちながら考える。
「三成、幸村はそんな懐の狭い男ではないぞ。」
「だが・・・。」
そのことを、例えばこの人嫌いの激しい男の感情を揺るがした真田幸村が気づかせてやったりできないだろうか?
そんな風なことを兼続は考えていた。
そのときふと前方に紅い甲冑が浮かび上がった。
「ほら、三成。噂をすれば、」
兼続は三成の背中をぽんっと前に押し出す。
三成はまだ不安そうな目で兼続を見たが、兼続は大きく頷いて見せてやるだけで何も言わない。
その様子に根負けしたと言わんばかりに三成は一度大きくため息のような深呼吸をしてじっと紅い体躯の青年を見据える。
先ほど何度も連呼した名前を、今度は本人に向けて呼ぼうと声帯を震わす。
喉がカラカラに渇いていた。
だが発せられる声が震えないように精一杯の力を振り絞る。
無意識のうちに己の拳をぎゅっと握りしめていた。

「幸村っ!」

呼んだ瞬間、かっと顔に血が上り、激しい不安と後悔に襲われた。
名を呼ばれた本人は自分の名を呼ばれたことに気づき、声がした方向を振り返って、その主を探す。
「幸村っ・・・」
もう一度、今度は先ほどよりも大分声が小さかったと思う。
それに情けないほど震えていた。
”幸村”と名を呼んだ主が己であると気づいて欲しいと思う気持ちと気づいて欲しくないと思う気持ちが混在していた。
(あぁ、こんなことなら・・・)
そう思った瞬間黒い双眸と目が合った。
幸村は己を呼んだ主が三成であることに気づき、驚いたように目を少し見張り、じっとその人物を見つめている。
三成はその居心地の悪さに視線を泳がせ、何か言おうとするが、喉がカラカラで声が出ない。
不安だけが積もりに積もって、この場からどうにか去ってしまいたい衝動に駆られたとき、幸村がいつもの春の日差しのような暖かい笑みを三成に見せた。
「何か私に御用でもおありですか?石田殿。」
そう言ってこちらに近づいてくる幸村。
いつも通り、何も変らないこの青年の姿に三成からは先ほどの不安と後悔が拭い去られていた。
「三成、だ。」
幸村がちょうど三成の2歩ほど前に来たあたりで、三成はいつもの自信に満ちた声音でそう言った。
幸村は三成の言葉の意味を測りかねて首を傾げる。
「これからは俺のことを三成と呼べ。」
鉄扇をすっと幸村の方に向けて、胸を張る。
こんなときにも高圧的な態度が出てしまうのは己の性か。
それでも幸村は気を悪くした様子もなく、またにっこりと笑う。
その姿に三成も安堵し、自然と笑みが浮かぶ。

「はい、三成殿。」

これでいい。
少しずつでも。
それでも確かに距離が縮まればいい。



	


お互いの呼称が"幸村"と"三成殿"になる話。
きっと三成はツンデレなので最初"幸村"って呼べなかっただろうなー、とか。           
後半兼続が空気すぎるorz

[2009年 12月 5日]