霧に包まれた視界。
鼻を突く火薬と血の臭い。
人の悲鳴と鳴り響く大筒の爆音。
小早川の裏切りにより惨敗を記したあの戦から幾日たったのだろう。
それは一方ではまるでつい先ほどのことのように思われるが、他方もう遠い過去のことのようにも思われる。
天下分け目の大戦、関ヶ原の戦いは西軍の惨敗に終り、その西軍の実質的総指揮官を任せれていた石田三成は腹心島左近の決死の計らいで命からがら関ヶ原から逃げ延びていた。
もうどこをどう行ったのか覚えてはいないが、戦で負った傷と疲労でもつれる足を鞭打ちながら決して人が通らないような獣道を走り続け、山里の小さな村に辿りついた。
その村は以前不作の年に年貢の軽減を計らったこともあり村人の覚えが良く三成を村の小さな祠の中に匿ってくれた。
いつ徳川の追っ手がくるやも知れぬ中で三成は昼夜そっと息を潜めて暗い祠の中で過ごしていると関ヶ原の惨劇が自然と思い興される。
あの戦場で見て、聞いて、感じたものすべてをありありと覚えているのだ。
悪夢のようなあの日三成はすべてを失った。
「俺は・・・。」
何がいけなかったのだろう、何を見落としていたのだろう。
こうして生き延びた自分はこれからどう動けばいいのだろう。
関ヶ原で島左近を最後に見たとき彼は己に兵を建て直し、徳川と再び一戦交えるために機を見ろと言った。
だが到底自分にはもうそんな力もないように思う。
「・・・左近、吉継っ・・・っ、すまっ・・・ない。」
だからと言ってこのままでは己のために戦い命を落としたであろう大谷吉継や島左近、西軍に加担した多くの兵たちに申し訳が立たない。
そんなことばからりを考えてずっと三成は昼夜もわからぬ闇の中でじっと縮こまっていた。
「三成様。」
不意に祠の外から自分を呼ぶ女の声がした。
シノだ。
シノというのはこの村に住む少女でときどき三成の様子を伺いに来ては水や食べ物を置いていってくれた。
「握り飯と新しい水です。」
「お前たちも決して充分に米があるわけではないのに・・・すまない。」
闇の中でシノの顔ははっきりと見えないがこうして握り飯を差し出してくれるのが三成におねね様を思い出させた。
「いいえ、いいえ!この村の皆は三成様に感謝してもしきれぬほどの恩があると感じております。日照りが続いて満足に米もとれず、年貢を収めるどころかこの冬をどう乗り越えるか途方にくれていた私たちを救って下さったのはあなた様ではありませんか!」
「・・・すまない。」
「何故お謝りになるのです!?」
あなたを責めてるものなどここにはおりません。
そう続けたシノの声が震えていた。
「・・・すまない。」
誰に、何を謝っているのか。
三成はただその言葉しかしらないかのように繰り返した。
「・・・三成様、今日は月が綺麗な夜です。少しそとに出てみては如何ですか?」
そんな三成の痛々しさに耐えかねたシノがそっと三成の肩に手を寄せて、祠の外へ誘導した。
 
 
外は夜と思えないほど真ん丸く輝く月が辺りを照らしていた。
祠から出たのは本当に久し振りだったので三成の足はよたよたと覚束なかった。
それでもシノに支えられて歩いているうちに感覚を取り戻していき、一人でなんとか村の池の傍まで歩いてこれた。
池の水を覗き込めばそこには到底自分とは思えぬほどの人物が写った。
栗毛の髪はちりぢりに乱れ、目の周りは窪み、頬の肉も削げ落ち、あちらこちらが血や泥で汚れている。
「シノ、すまない。俺を一人にしてくれ。」
シノは三成のひどくうろたえた様子に気づき静かに一礼だけしてその場を去った。
(これが本当に俺なのか・・・?)
シノが去った後も三成はただ呆然と自分の変り果てた姿を眺めていた。
すると不意に風が水面を揺らし一枚の花びらが円を描いた。
(・・・桜?)
季節は西風が吹く秋だ。
桜の花びらなどありえないはずだが、それは確かに薄紅色の花弁だった。
不審に思った三成が顔を上げると目の前には大きな桜の木があった。
しかもその木は今三成が錯覚したとばかりの薄紅の花弁を枝いっぱいに持っていた。
「そんな・・・ありえぬ。狂い咲きか・・・?」
満開の桜の木に明るいほどの満月、それに不釣合いな冷たい秋風。
風が花弁を揺らし雪のようにはらはらと舞う。
それは三成にいつぞやの春、紅い鎧を纏った青年と交わした約束を思い出させた。
「幸村、お前は生きているか?」
気づけば彼の名を呼んでいた。
”生きろ”と言った。
咽返るような花の匂いの中で口付けを交わしたあの日、今にも戦のために命を投げ出してしまいそうなその青年に三成は約束した。
戦で生きつづけていればいつかお前の言葉に応えてやる、と。
「結局応えてやれないな。」
普段は穏やかでもの静かなのに戦で槍を振るう姿は修羅の如く凄まじい。
鎧の色のように紅く燃ゆる内なる闘志を持った青年の瞳はいつも己をまっすぐ見つめていた。
三成は彼の黒目がちな強い眼差しが好きだった。
愛おしいとさえ思っていた。
だがこの戦乱の世でそんな感情など不要なのだといつも己に言い聞かせてきた。
それでも彼もまた自分に恋情を抱いているのだと知ったあの日から三成はいつか自分が己の為すべきことを成し遂げたとき、そっと彼の傍に寄りそうだけの存在になれるのではないかと夢見ていた。
だがそれももう遅い。
何もかもが幻のごとく三成の手のひらから滑り落ちていく。
そっと桜の木に身を寄せると何故かそれが彼の体温のように温かく感じられた。
瞳を閉じてそっと頬を寄せるとまるで彼がそこにいるような気さえした。
「幸村、俺は・・・お前の傍にいたいのだ。」
もう石田三成という荷を捨てて、一人の男としてただ彼に寄り添いたかった。
到底叶わぬ夢であったけれども。
それでも今のこの一瞬を、最後の瞬間を、全て彼に捧げたかった。
「お前だけ・・・お前だけを思っていたい。」
この身が滅びたあとは何もかも投げ捨てて、魂だけは彼の元へ、そう頑なに願った。
将としての自分を慕って付いてきてくれた島左近や親友・大谷吉継、多くの兵たち、彼らには最後まで石田三成として向き合って生きたいと思っていた。
いや、今だってその気持ちは変らない。
だが不意にここにきて今まで己の奥底に閉じ込めていた思いが溢れ出す水のように零れ落ちてきた。
「受け止めてくれ、幸村。」
(もういいだろう?)
そう何度も三成は己に問いかけ続けた。
「・・・っく・・・うっ・・・。」
三成の頬を温かいものが流れていた。
もういいのだ、と彼に抱きしめて貰いたかった。
 
 
翌朝、昨夜のやつれた姿など想像できぬほど身なりを綺麗にまとめた石田三成がシノの前に現れた。
その瞳は誰にむけるでもない虚ろなものではなく、しっかりと目の前を見据えた意志のあるものに変っていた。
そしてその瞳のまま三成はゆっくりと口を開いた。
「シノ、俺を徳川に差し出せ。」
 
 
関ヶ原の大戦後行方知れずとなっていた石田三成は伊吹山近辺の村人に捉えられ徳川の兵に引き渡された。
その後大津城の城門前に生きさらしとされ、さらに京の市中を引きずり回された。
そして、慶長五年十月一日六条河原で斬首となる。
 
 
 
 
 
 
 
 
	


三成verです。
関ヶ原の後徳川軍に捕まるまでの間の三成です。
きっと秀吉に仕えてる頃から三成は武士(文官の役割が多かったかもしれませんが)としての自分ばかりで、一人の人間としての自分をあまり大事にしてこなかったと思うんです。
けど関ヶ原で敗北したあと、ふとした拍子にそんな自分が前面にでてきて、自分の個人的な感情で溢れかえる三成をここで書いてみたかったっ・・・!!んです。

[2010年 12月 08日]