Goodbye My Wings09
また今度。
いつもそんなふうに考えてた。
アルトはピンクブロンドの髪を指に絡めながら膝元で浅い呼吸を繰り返すシエルに視線を落とした。
ぐちゃぐちゃに汚れてしまったジャケットを隅に追いやり、黒のタンクトップに囚人服のズボンをアーミーブーツにインしたスタイルでシエルはアルトの膝に寝そべっていた。
そっとシエルの首筋に手を伸ばすと、くすぐったいのか気持ちいいのか甘い吐息が漏れた。
まるで猫みたいだ、とアルトはそっと一人で微笑む。
白い頬は先ほどの名残りかまだ少し蒸気しており、触れ合う肌はしっとりと汗ばんでいた。
「・・・ありがとな、俺の我侭聞いてくれて」
シエルの細い指がピンクブロンドの髪を玩ぶアルトの指に絡められた。
「同情でも、嬉しかった」
ネイビーブルーの瞳を細めて笑うシエルにアルトは言いようのない感情に襲われる。
彼は今何と言った?同情?
違う、シエルは何か大きな勘違いをしている、とアルトは絡められた手をぱっと振り払う。
シエルに初めて出会ったときからアルトの中にはシエルに対してなにか煮え切らないもやもやした感情があった。
それがシエルと一緒に過ごすうちに次第に膨らんでアルトの中で大きな位置を占めるようになっていた。
その感情が何なのか、アルトはわからないまま、ただときには彼がとても愛おしくなり、ときには憎らしくなり、大きく揺れ動く感情に戸惑っていた。
しかしシエルがいなくなってぽかりと胸に穴が空いたような感覚を知って、再び会うことでその胸が何か切なく愛おしいもので埋め尽くされるのを感じて、今まで自分を悩ましていた感情が何であったのか次第に気づき始めていた。
そしてこうして肌を重ねたことでその感情がアルトの中で確信に変わっていた。
自分はシエルに惹かれている。
それもきっと出会った頃から。
そしてシエルもアルトのことを思っていた。
だからこそこうして抱き合ったのに、シエルはどうやらそう思っていないらしい。
シエルはアルトがただの同情でシエルを抱いたと思っているらしいのだ。
アルトは決してそんなつもりではなかったのに、シエルの方はどうやら違うらしい。
ということはシエルはこれで総て終わらせるつもりなのだ。
アルトのことも、自分のことも、何もかも区切りをつけて死に向かって突き進もうとしている。
そうアルトは直感した。
不安と悲しみの入り混じった感情がアルトの中で渦巻く。
「シエル、俺は・・・」
だったら尚更今ここでちゃんと自分の気持ちを伝えるべきだ。
シエルが今ここで何を決意していたとしても、アルトはシエルがしたように自分の気持ちをしっかりと打ち明けるべきだ、と悟った。
もう迷わない、自分の信じる道を行く。
そう決意して口を開いたところで電子音が高々と二人だけのシェルター内に響いた。
「・・・はい?」
電子音の正体はシェルターに設置された非常用通信機だった。
通話ボタンをオンにして不信感と共にアルトが応答すると低音の威厳ある男らしい声が聞こえた。
「アルトか?」
「隊長!」
「やはりそこに避難していたか。シエルも一緒だな?」
オズマは通信機でシエルの無事も確認すると二人を引き上げるワイヤーを持ってきたので所定の位置までこいという簡単な伝言を残し、通信機は切られた。
「急がないとオズマが待ってるみたいだな。」
通信ボタンをオフにしたアルトに二人のやり取りを黙って聞いていたシエルが声を掛けた。
壁に手を付きふらふらと立ち上がるシエルを横目にアルトが頷く。
「・・・ああ。」
アルトは胸に一塁の蟠りを残しつつ、仕方なくシエルの肩を抱いて立ち上がった。
ここを脱出してからでも時間はある、と自分に言い聞かせながら。
「アルト、シエルの様態は?」
先に引き上げられ、ランカに肩を借りて立っているシエルを横目にオズマがアルトに耳打ちしてきた。
「良くはない、です。できるだけ早くベットに寝かせてやらないと。」
アルトの言葉にオズマはそうか、と短く返事をしてすたすたと歩き始めた。
シエルにあまりいい印象を持っていないのか、普段はシエルの悪口ばかり言っているオズマも、今日ばかりはシエルが気に掛かるらしく、歩調はシエルに合わせていつもより少し遅れていた。
そんなオズマの姿にアルトは自然と笑みを作って、ランカからシエルを受け取ると、オズマの後を追う。
「おばあちゃんが言ってた・・・」
オズマを先頭にアルト、シエル、ランカの三人で並んで歩いていると不意にシエルが自分の祖母の話を始めた。
シエルの祖母が研究者だったこと。
ランカのように森や動物、バジュラとも心を通わせる人間を探していたこと。
シエルから告げられた内容はどれも驚くべきことだったが、それでシエルがアイモを知っていたこと、V型感染症患者であること、何よりいつかマヤン島のビーチでランカの言っていたことが理解できた。
メビウスの輪のように色んな人の人生が交差している、アルトにはそんな気がしてならなかった。
「そうです。ランカ、あなたにはバジュラを引き寄せる力がある。」
「お兄ちゃんっ・・・!?」
不意に声のした方を振り返るとブレラが立っていた。
「ブレラ・・・お前・・・」
その姿を確認するとシエルの顔が曇った。
アルトも何か不穏な空気を読み取り身構える。
「さぁランカ来なさい。」
しかしブレラはアルトとシエルなど見えていないようにランカに手を差し出す。
そしてその手にランカが戸惑いながら己の手を伸ばそうとしたところで、それを素早くシエルが遮った。
「駄目だっランカちゃん!こいつはもうあんたのお兄ちゃんじゃない!インプラントに支配されてるんだ!」
「・・・フェアリーナイン、裏切るのか?」
そこで初めてブレラがシエルの姿を確認したように、シエルに向き直り、じろりと睨んだ。
その目は確かに意志ある人間のものではないような気がアルトにもした。
「ランカちゃん、行くな!ギャラクシーはランカちゃんの臓器を俺に移植して対バジュラ戦に利用しようとしてるんだっ!」
シエルがそこまで言ったところでブレラはもはや強行手段にでるしかないと判断したのか、手元からジャックナイフを取り出した。
「逃げるぞっ!」
この状況で応戦は不利だと判断したアルトがいち早く二人の手を取り走り出す。
すかさずブレラが武器をハンドガンに切り替え数発足元目掛けて打ち込んできたが、幸いどれも命中しなかった。
インプラントのブレラは数種類の武器を内臓しているらしく、次の準備に取り掛かっていた。
二人をどう逃がすか、そのことに気を取られてアルトはブレラが用意したマシンガンに気が付かなかった。
ブレラを確認するため振り返ったときには距離を詰めたブレラが射撃体勢に入っていた。
(・・・まずいっ!!)
そう直感したところで先頭を進んでいたオズマが戻ってきた。
「お前らっ!大丈夫かっ!」
ブレラにオズマが応戦しているうちにアルトはシエルとランカを橋渡し通路に逃がす。
ここを抜ければすぐに母艦に辿りつける。
「隊長っ!」
アルトがオズマにも逃げるよう声を掛ける。
「アルトっ!お前はランカとシエルを連れて行けっ!」
しかしオズマはアルトを通路の方に押すと、自分はブレラを一歩の通さないようにその前に立ちはだかった。
「そんな・・・!隊長!」
アルトが次の言葉をかける前にブレラはオズマ目掛けてマシンガンを乱射していた。
「ぅぉぉおおお!」
休みなく発射される弾はすべてオズマの体に受け止められていた。
しかしいくら弾を当てたところでオズマの体がそこから動くことはなく、ブレラはこれ以上は無駄だと判断したのか、さらに武器を大型のバズーカに切り替えていた。
「!!」
もはやブレラは建物ごと破壊する気なのだ。
一刻も早くここを立ち去らねば、とアルトが踵を返したときには遅く、建物はごぉんという爆音とともに崩壊していた。
崩れ落ちた天井から真空の宇宙に風が雪崩込み、アルトも、シエルもランカも飛ばされる。
生身で真空状態の宇宙に飛ばされば人間なんてひとたまりもない。
アルトがシエルに手を伸ばそうとしたところで、ランカが今の爆発で気を失っていることに気づいた。
ただ無防備に宇宙に雪崩こみそうなランカにシエルもほぼ同時に気づきランカの肩を受け止めると、ランカを肩に抱いたままシエルが精一杯白い腕を伸ばしてきた。
アルトもそのシエルの腕を捕らえようと必死で手を伸ばすが、あと少しのところでなかなか捕まらない。
(・・・くそっ!このままじゃ!)
逸る思いで肩から抜けそうなほど腕を伸ばしたところでやっとシエルの指がアルトの指に絡まった。
あと少し。
あと少し、それを手繰り寄せるだけでいい。
そう思ったところで残酷なほどするりとシエルの指がアルトをすり抜けた。
(そんなっ・・・!)
このまま二人とも宇宙に投げ出されてしまうのか、そう思ったところでシエルと目が合った。
そしてネイビーブルーの瞳が悲しげに笑っていることにアルトは初めて謂れのない恐怖に襲われた。
(・・・まさかっ・・・)
シエルの長い睫毛が何かに濡れて光った気がした。
「・・・っめ・・・ろ・・・」
ごうごうと宇宙に雪崩れ込む空気の音で言葉など聞こえない。
それでも何か言わずにはいれなかった。
呆然とシエルを見つめるアルトに対して、シエルはその瞳にアルトの姿を焼き付けるように捉えると大きく一度だけ頷いた。
”ランカちゃんのこと、頼んだ。”
鼓膜を通して耳に聞こえたのではない。
思いを感じたのだ。
「やめろーーーっ!!!!」
アルトがそう叫んだのと、シエルがランカの肩を押したのはほぼ同時だった。
死ぬのが怖いと言った君を思い出した。
to be continued...
あとがき
記憶が限界です・・・。
[05.04.2011]