夢は現となりて、現もまた蝶の舞う夢の如し。



次に幸村が目を覚ましたのは、それから一刻は経っていただろう。
戸が閉ざされているために外の様子はわからなかったが、自然とそう感じた。
流石にこのまま主とその恋人が臥所から出てこないというのはいくら周知のこととはいえ体裁がよくないだろう、とまだぼんやりとした意識のまま半身を起こすと隣で眠っているだろうはずの人がいなかった。
「・・・三成殿?」
先に起きて朝餉をとっているのだろうか、とも考えたが朝がめっきり弱い三成が自分より先に寝所から出て行くとはあまり思えない。
そもそも今朝まではぴったりと並べられていた褥も今は一人分しか見当たらず、そこからは昨夜から今朝にかけての情事を思わせる痕が何一つなくなっていた。
事の奇妙さに意識がはっきりしだすと、よくよく見ればここは見慣れた石田屋敷の三成の臥所とは違うことに気づいた。
もちろん己のそれとも違う。
それにこの静けさに違和感さえ感じ始める。
ここはあまりに凄然としすぎているのだ。
この世から己以外の人という存在が完全に絶えてしまったような、そんな風に錯覚させる不安感。
幸村は小さく身震いをして、もう一度辺りを見回す。
愛しい人はどこへいってしまったのだろう?
自分はまだ夢を見ているのだろうか?
そんな気さえしてきて、幸村は試みに己と一番近しい草の者の名を呼んで見た。
「佐助はおるか?」
草の者の名を呼んだのは草の者や忍びが常人を遥かに逸した五感を持っているからだ。
呟く程の声音でも草の者であればある程度の距離にいれば聞き取ってくれる。
それにこの明らかに奇妙な事態に慌てふためかないのは、先ほどから微かに佐助の気配が感じ取れたからだ。
自分が何者かによってたとえ敵の手中にあるとしても、この気配を感じている限りとりあえずは如何にかなると考えていたのだ。
「目が覚めたのか?旦那。」
案の定、佐助は幸村の声に応えるようにすぐに現れた。
佐助の瞳からは安堵とも喜びともつかぬ色が読み取れた。
「やはりいたのだな。ところで、ここはどこだ?俺は三成殿の屋敷に居たはずなのだが・・・。」
そこまで言って幸村は己を見る佐助の奇異なものでも見るかのような表情に気づいた。
「・・・旦那、まだ熱があるのか?」
「熱などない。」
額に当てられた手を素気無く振り払うと幸村はもう一度同じ質問を繰り返した。
「ここはどこだ?」
「やだなぁ、旦那。そんな風に俺をからかおうったって無駄だぜ。」
「違う、そんなつもりは毛頭ない。三成殿はどこにおられる?」
実はこちらの安否のほうが気にかかっていたのだが、わざわざ忍びを呼び出しておいてこの質問を真っ先に投げかけるのは自分と三成の関係をわきまえている佐助に対して気が引けた。
だが、どうやらそんな心配をしている場合ではなさそうだ。
胸がざわつく。
ひどく嫌な予感がするのだ。
「熱でうなされてる間に何か夢でも見たのか?”三成”なんて名前まで出てくるとはさぞ好い夢だったんだなァ。」
「佐助、」
「あーぁ、俺もそれくらいぐっすり眠れる休暇が欲しいよ、まったく。」
「佐助。」
べらべらと口減らずな己の部下を咎めるように、二度目は少し怒気を含ませてその名を呼んだ。
そこでぴたりと佐助の口の動きが止まる。
真剣そのものの幸村の目が佐助を捉える。
「佐助、俺は先ほどから、」
「旦那、あんた本当にわからないのか?」
今度は佐助が睨み返すような鋭い目つきで幸村を見据えるものだから、幸村の方が言葉を詰まらせる。
(なんだ、この奇妙な感覚は・・・?)
「・・・あぁ、わからない。」
「・・・。」
佐助の瞳が驚愕とも悲哀ともとれぬ色を浮かび上がらせ、ひどく申し訳ないような気分になった。
しかしそれも一瞬のことで佐助は静かに息を吐くと冷静な表情を取り戻していた。
そんな落ち着いた佐助の態度はやはり熟練した忍びのものといえる。
ここでようやく自分の問いに答えてくれる気になったのだろうと幸村はじっと己の忍びを見据える。
「ここは九度山だ、旦那。」
「九度山・・・とは高野山の麓の・・・か?」
「あぁ。」
「何故斯様なところに俺が?俺は大坂の三成殿の屋敷に今朝までいたはずなのだが?」
全く状況が理解できぬ、と幸村は首を捻らす。
確かに自分が前に目覚めたときは三成の屋敷にいて、隣には静かに寝息をたてる彼が居たのだ。
それが次に目覚めてみると聞きなれぬ山奥の屋敷に自分は居るという。
「旦那、悪いがその”三成”ってのは誰だ?」
だが、次の言葉に幸村は目を見張った。
「三成殿は三成殿だ。」
先に感じた不安が今度は一層強く感じられる。
自分にこんなにも側近く使えていて三成を知らないはずはないのだ。
実際、仲が良いか悪いかは別として佐助は何度か三成と正面から会っている。
その姿を幸村はしかと見ていた。
だからと言って佐助が惚けているようにも見えない。
「海老茶色の髪に整った顔立ちで、俺より少し年上の、石田治部少輔三成殿だ!」
そこまで言って佐助の表情が険しくなっていることに気づいた。
沈黙が続くほど戸が締め切られた暗い臥所に陰鬱な雰囲気が漂う。
「・・・石田冶部少輔三成は知ってる。」
「では!?」
期待に手をついて前に乗り出すが、佐助は俯いて視線を外すと幸村の期待を否定するかのように首を横に振った。
「だが、俺の知ってる石田三成は旦那の言う人とは違う。」
「どういうことだ?」
「俺の知ってる石田治部少輔三成は四十を越えていた。それに俺の知る限り石田三成と旦那は直接関わりはなかった。」
「そんなはずはなかろう!?俺と三成殿は小田原攻めの際、義の誓いを立てたのだぞ!?」
「旦那、落ち着いてくれ。熱でどんな夢を見たのか知れないが、旦那の云う石田三成はいない。それにあんたは北条との戦に参加していないだろ。小田原を攻めたのは昌幸様だ。」
落ち着けといわれても到底落ち着いていれなかった。
幸村からは普段の冷静さが完全に失われていた。
当然と言えば当然のことだ。
目が覚めると全くもって不可解な状況の中に自分は投げ出されていたのだ。
そんな常軌を逸した幸村の様子をどうやら佐助は熱か何かのせいだと思っているらしく、仕切りに物事を順序立てて話そうとする。
幸村はついにもう構ってられぬ、とでも言わんばかりに立ち上がる、がその手を佐助がすかさず掴む。
「どこに行くつもりだ?」
「三成殿に会いに行く。」
佐助の目はそれが己の主君に向けるものとは思えぬほどの厳しさをしていたが、幸村はそれを真っ向から見据える。
幸村にはこの状況のどれもがまだ真実だとは思えなかった。
まだ夢を見ているのだ、とさえ思っていた。
「・・・石田三成は既に死んだ。六条河原で処刑されたぜ。」
「何を申すか!?佐助!!俺は今朝まで三成殿と一緒にいたのだ!雨の中、石田屋敷に・・・!!」
急に佐助が掴んだ幸村の手を強引に引っ張り暗い部屋の中を縁側の戸にまで誘導した。
前のめりに倒れそうになったところをなんとか右足で踏ん張り、非難めいた視線を佐助に向ける。
しかし佐助はそんな幸村の視線に気づかぬように戸にゆっくりと手を掛ける。
その隙間から眩い光が入り込み、幸村の視界を白く染め上げる。



「ここ最近は日照り続きでね。今日も朝から雲一つない、快晴だぜ、旦那。」








続 






                

幸村は自分の従者や家臣に対しては「俺」、目上の人には「私」。
尚且つ話し方も丁寧から砕けたりして、自分を使い分けてると萌えるな、とか←

[2009年 11月 15日]